”好き”という言葉では、物足りない。
■淡々とできることが情熱だ。
本屋が好きだ。
というか本屋に行くことが当たり前すぎて、もはや好きという感覚がない。
きっとこれが”ほんとうの好き”なんだと思う。
毎日当たり前のように淡々とできることが”情熱”だ。
備長炭のようなカンタンに消すことのできない、本物の熱なのだと思う。
■ 「好き」でいいのだろうか?
現時点の表現力では、”好き”という言葉になってしまうが、しっくりこない。
「好き」という言葉では足りない。
「好き」という言葉では、いささか安っぽく陳腐とさえ感じる。
そんなありふれた言葉で片づけてしまうのは、自分に失礼な気がする。
好きという言葉でしか表現できない、
現時点の自分の表現力の乏しさに苛立つ。
しかしその苛立ち、嫌いじゃない。
苛立ってる自分に”いいぞ!”と応援している自分がいる。
こうでなくては、とも思う。
その表現に対する悔しさや苛立ちが、スイッチとなる。
そのスイッチがいつもぴったりくる表現を自分の中から卸してくれる。
しょーいち